日々徒然

zatta!

"そこ"でしか取り戻せないものがあるのかもしれない

復帰後の配信でステージに立つ自信を失くしてしまったと打ち明けた壱馬くん。

あれからひと月。まだ本調子ではないように見受けられるので、おたくは勝手に心配しては不安になったり大丈夫だと己に言い聞かせたりと生産性のない行動をくり返している。舞台挨拶で目にした様子が本当に……で、人前に出られる状態ではないと感じたし(※個人の所感)その場しのぎのようなものではなく長期で腰を据えてしっかり休養した方が絶対にいいと思った。

今もその気持ちは残っているし、休めるなら休んだ方がいいと思う。

けれども、福井2日間をこの目で見て壱馬くんが失くしたと語るものの中には人前に立つことでしか、ステージへ上がることでしか取り戻せないものも、もしかしたらあるのかもしれないと感じた。

終盤へ向かうにつれて少しずつやわらかくなる表情。
アンコールで徐々に自身を解放していく姿。

会場を煽る声が一段と力強くなり、瞳に芯が宿り、顔つきが変わり、肉体へ生気が宿っていく様を目の当たりにした今は、必ずしも休んだ方がいいわけではないのかもしれないと思い始めている。

16人でつくりあげるライブという場が何より大事なのかもしれない。そこでしか得られないものが確かにあって、生身の存在、顔、リアルな熱と歓声、ステージと客席の相互作用、会場が一体となっていく感覚――そういったものが必要なのかもしれない。

答えは未来にしかないけれど、いつか「ターニングポイントになった」と本人が笑って話せるようになったらいいなと思った。


……まぁ、そう思えたのは2日間を経験したからで、1日目だけだったらこうはならなかっただろう。壱馬くん自身がもがき、足掻いて、必死に掴んだものの片鱗を客席で目撃した思いだ。

1日目に登場した時の姿が脳裏に焼きついている。あんな思いはこの先二度と経験したくない。

そこからのアンコールと終演後の姿。2日目のアンコール(特にKRUMP)から終演後のコメント。

どれも忘れたくない、残しておきたい記憶だが、自分の文章が下手くそな自覚があるため誤解されたり変な捉え方をされたと思うとなかなか踏ん切りがつかない。かといって時間が過ぎればどうしても記憶は薄らいでいくもので……悩ましい。