SNSで訃報をRTなりRPなり何なりしてお悔やみを申し上げるという一連の行為がどうしてもできない。
故人が自分の人生にそれほど関わっていない場合、軽率に触れていいものかわからずおこがましくて何も言えない。
故人が自分の人生に大なり小なり影響を与えている場合は、ショックで何も言えなくなる。文字通り言葉を失う。
故に、自分はSNSで訃報を拡散してお悔やみを申し上げるといういとも簡単な行為がどうしてもできずにいる。
みんな、どうしてあんなにも容易くやり遂げられるのだろう。タップして一言。タップして一言。決して難しい作業ではない。単純で簡単なことが、どうしても自分にはできない。
できる人たちのことを羨ましく思う。そうやって手軽に発散(という表現が正しいのかわからないが)できる方が、内に溜めて抱えこむよりも健全に思える。実際、健全なのだろう。
中にはわけのわからない自撮りを添えた投稿なんかもあって、そういう類のものは「他人の死に便乗してんじゃねーよ」と腹立たしくなるけれども、大体の人が当たり前にやっている「拡散してお悔やみを言う」ただそれだけのことが、どうして自分には難しいのか未だによくわからない。どういう心理なんだ、これは。自意識が過剰すぎるのか?? それはあるかもしれない。
訃報を知ったのは、ちょうど昼休憩をとっている時だった。必死に泣くのを堪えたが、ちょっとだけ溢れてしまった。頑張れ社会人。いい大人だろう。
まっさきに浮かんだのは「若すぎる」という言葉だったように思う。老若男女いつでも、どこにでも死は訪れるというのに年齢のことを気にするなんておかしいのだけれど、「68」という数字を見てもやっぱり思いは変わらなかった。早すぎる。気持ちの整理がつかない。現役で、現在進行形でバリバリ仕事をしているイメージが強くて、この先もずっと、ずっとずっと彼が生み出す世界を見ていられると信じていた。根拠などない、子どものような無邪気さで。
ファン、関係者の皆さまへのお知らせhttps://t.co/JleA2lcI8l pic.twitter.com/f99XQFfLdF
— ドラゴンボールオフィシャル (@DB_official_jp) 2024年3月8日
【訃報】
— 少年ジャンプ編集部 (@jump_henshubu) 2024年3月8日
鳥山明先生が逝去されましたhttps://t.co/saXGJzdHpk
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...
週刊少年ジャンプ公式サイト「訃報」岸本斉史先生コメントより
これ以上に寄り添う言葉はないのではないかと思うほどに胸の内を代弁するフレーズへ目頭が熱くなる。
岸本……岸本……!!
わかるなんて言えないけれど、わかるよ岸本。
帰路につき、久しぶりにアルコールへ手を伸ばす。今日はいいよね。いいよ。
やっぱりまだ、お悔やみは言えそうにない。