前にも同じようなことを書いたと思いながら、同じようなことを綴る。あくまで自分はそういうスタンスで応援しているという話であり、他者へ強いるものでも説くものでもないことをあらかじめ断っておく。
応援。推し活。
一括りにこうだと定義づけるのは難しいが、結局は"人"対"人"の話なので広義の人間関係と捉えていうと、上手くいかない、つらい、苦しい、しんどい時は大体距離感がよろしくなく、現状自分に合っていないことが多い。経験上、そういう時は無理に留まろうとせず距離を置いた方が上手くいく。そのまま離れようが、戻ってこようが自由。非難される謂れはない。(砂をかけるような真似をしなければ)
好きなものを手放すのはつらい。苦しい。簡単にできることではない。
好きでい続ける為に相手を変えようとする行為は、そういう意味では理解ができる。相手が変わってくれれば自分は変わらずに済むからだ。
しかしながら、それは自分の都合であり、相手には関係のないことである。
応援とは強要されてするものではない。選択権は自分にある。つらいから、苦しいから、しんどいからといって己の考えや気持ちを相手に押しつけていいわけではない。「傷ついた」は免罪符にならない。傷つけられたから傷つけ返していいわけではない。自分の正しさが他者にとっても「正しい」とは限らない。
人生、思うようになることの方が少ない。自らが信じる正義や思想、自分の中で譲れないものを無理に曲げる必要はないが、同じように他者には他者の正義や思想、譲れないものがあることを忘れないようにしたい。
他人の言葉に答えを探してもいい。それ自体は悪いことではない。
さりとて「他人の言葉」は他人の言葉でしかない。最終的には自分で考えて、判断して、選ぶほかないのだ。
自分の行動に責任を取れるのは自分だけ。誰かのせいにはできないのだから。