日々徒然

zatta!

映画『MY (K)NIGHT マイ・ナイト』の個人的に気になる点

2回観ただけなので見落としや理解不足もあるかもしれないが、ひとつ気になっていることがある。本日発売のノベライズでその辺りが補足されているかもしれないという期待もあり、今のうちにしたためておく。

以下、ネタバレ。




気になるのは、川村壱馬演じる刹那に関する描写だ。母親と縁を切った刹那は、電話がかかってきても応じない。

そんな彼が、灯とその母親との交流を通して、長年連絡を取っていなかった自分の母親へ電話をかけようと心変わりする。この展開が引っかかった。親から逃げた子どもが、執拗に連絡を取ってくる親へコンタクトを取ろうとするのは大丈夫なのか。せっかく離れられたのに、再び悲惨なことにならないだろうか。他人事ながら心配になった。こんな風に気持ちが変わるものなのか。

「親ってクソだよな」「最後に会ったのは何年も前」「嫌い」「顔も見たくない」と吐き捨てる刹那は、本心を述べているように見えた。一方で、電話に出はしないものの留守電のメッセージを聞き、着信拒否はしないところを見ると、心の奥底ではもう一度話してみてもいいと思っているのかもしれない。本当に嫌で完全に関係を断ち切りたかったら、番号を変えるだろうから。

刹那の気持ちが変化したのは灯と灯の母親双方の影響だと思われるが、きっかけ台詞が灯の母親の「会ってきなさいよ」(だったかな? うろ覚え)で、親という立場の人間から投げかけられる構図なのもグロいと感じた。考えすぎだろうか。刹那と灯の母親自体はフラットな関係だし、いささか穿ちすぎか。刹那のバックボーンが掘り下げられなかった為、親子関係の拗れがどの程度かわからなかったのは残念。自分は親との関係が良好な方で当事者にはなれないので想像するしかないが、こんな綺麗に収まるものだろうかというのが率直な感想だ。

育ちの悪さが見える刹那と、厳しく躾けられたのだろう灯。挫折の痕が残るイチヤと、乗り越えた先にいるmiyupo。スラム街のような環境で人に囲まれて生活する刻と、タワマン住みでひとりぼっちの沙都子。三組の対比。

親子関係は灯と刹那の共通項ではあるが、実情は異なる。刹那が灯へかけた「(母親と)仲いいんだな」という言葉からもそれがわかるので、親と向き合い関係を修復する灯と修復しない(できない)刹那のままでよかった気もする。電話をかけようとしたがかけられない、かけたが留守電に繋がり何も残さずに切るぐらいの温度感の方が自分はしっくりきたかも。「たった一夜で人生を変えてしまうこともある」的な台詞があったのでそういうことなのかもしれないが、イチヤが写真と向き合えるようになるのと、刹那が親と向き合えるようになるのは同じレベルで扱えるものではないように思えた。

映画の描き方がデートセラピストとして女性を癒す立場である彼らが一方的に施しをするのではなく、他者と触れ合うことで癒し癒され、救い救われるというものであることを踏まえると、刹那が救われる(?)という意味での「母親と向き合う」描写なのだと捉えることもできる。人と触れ合えば傷つく、それを癒し救うのもまた人、みたいな。(?)なので、この展開が悪いと言いたいわけではない。

何を懸念しているのかというと「結局、親と子はいい関係でいなくちゃいけないの?」と感じる人がいないといいな、と。ただのお節介、余計なお世話といわれればそれまでだが。

別に逃げていい。親だからと受け入れる必要はないし、拒絶したままでもいい。そういう描写も救いになるのではないか。

電話のシーン、最初と最後でまったく印象が違っていて、改めて川村壱馬の演技が好きだ!! と強く感じたので映像としてはめちゃくちゃ好き。夜に向かう/朝を迎えた空の美しさ。壱馬くんの表情も空気感もすごくいい。壱馬くんのお芝居が好き!!