自分にとってバンドを愛するとは、メンバーの奏でる音を愛することである。
一報が入った時は驚いた。詳細を確認して、名前がないことへがっかりするのと同時にほっとした。どうにも奇妙な感情だった。
「彼がいないのに椿屋四重奏なのか、そうであるはずがない」という気持ちと「中途半端なものは見たくない」気持ちとがない交ぜになり、思考も情緒もぐちゃぐちゃになった。そうか、二十年か。
うれしいような寂しいような、どこか腑に落ちないものを抱えながら当日を迎えた。音が鳴り、様々な感情が沸き起こる。
実際に体感しても、考えは変わらなかった。たかしげとりょうちんと三人で演奏した中田裕二ソロ活動10周年のあの一夜が、自分にとっての椿屋四重奏復活だった。今回は、やっぱりちょっと違う。椿屋の曲をやるが、椿屋ではない。あくまで"中田裕二ソロ”の延長線上。
そんな思いで眺めていたアンコールで作務衣を着た中田裕二、小寺良太、永田貴樹の三人が揃い、三人だけで演奏したあの瞬間は"椿屋四重奏"がそこに居た。『群青』をやらないわけにはいかないよな。
なんとなく予感がしていた。本編の途中から「これで終われるはずがない」「だって中田裕二だ」という思いが強まり、アンコールに出てくるのではとひそかに期待していた。そして、期待は現実になった。そう、これが"椿屋四重奏"だ。
10周年の再結成は感情が爆発して涙が止まらずめちゃくちゃになったが、今回は予感がしていたぶん冷静に見られた。例にもれず大泣きしたけれども笑。
芸能人として小奇麗に保っている代表よりも、一般人の普通のおじさんになったたかしげに感情が動き、テンションが上がり、視線が釘づけになってきゅんきゅんする自分に安堵した。2021年も、2023年も、現役時代と違うことなくたかしげに夢中。ブレない。今でも貴方のベースが好き。
ライブが始まってすぐは、懐かしい楽曲を再び聞けた感動と共に「椿屋の楽曲が聞きたい」ではなく「椿屋に会いたい」という解散後に代表のソロライブを観に行った時に感じたものと同じ気持ちが渦巻いた。あの頃の、記憶の中の彼らを追いかけ続けている。何年経っても懲りない。あまりに鮮烈で深く根付いていて、どうにも忘れられないのだ。これがつらくて代表からも、りょうちんと手島さんからも離れてしまった。楽曲は勿論好きだが、なによりも椿屋四重奏という"バンド"の在り方が、生き様が好きだったのだと解散した後に痛感した。二度と戻らない青春のような存在。それが、自分にとっての椿屋四重奏だ。
セットリストは新鮮な驚きを齎してくれた。「ベストオブベスト」という発言から察するに、流れよりも楽曲を重視して組んだのだろう。過去の亡霊を探すのではなく、記憶を引っ張り出して比べることもせず、現代に蘇る音を楽しんだ。どの曲も思い入れと思い出がありすぎる。『アンブレラ』が一番驚いたかもしれない。「配信で出せと言われたから出したのに全然売れねぇじゃん」とぼやく代表の顔が蘇る。タイアップがついていて、苦手な類の映画なのに渋谷のミニシアター(だったかな?)へ頑張って観に行ったなー。
続いて『シンデレラ』がきて、泣いた。これはもう、泣いた。初のFC限定ライブで初披露された曲。しん、と静まり返ったライブハウス。緊張の糸がぴんと張り、一筋のライトが代表を照らす。歌いだす直前、息を吸う音がはっきりと聞こえたのを今でも覚えている。自分にとっての『シンデレラ』は間違いなく、あの瞬間が最高潮だった。あの呼吸音を含めて『シンデレラ』なので。
そんなわけで、次に何がくるのか読めないまま本編が進んだが、最後だけはわかった。『恋わずらい』のアウトロを聞きながら、次は『空中分解』だ。それで終わりだ、と。
あまりにも匂いがした。懐かしい心地。身体が覚えている。あの頃に戻りたいな。
ダブルアンコールは『君無しじゃいられない』。これをやらないと終われない。『群青』と同じぐらい、やらないはずがない楽曲。調子に乗ってふざけた替え歌をして叩かれたりしていたね。まぁ、あれは最悪だったよ。擁護のしようがないぐらい、最低だった笑。
あー、楽しかったー!!
うん、そう楽しかった。ライブはすごく楽しかった。椿屋四重奏はもういないんだな。自分が会いたいと願う椿屋四重奏は、記憶の、思い出の中にしかいない。この先も大事に、大切に抱えて生きていこう。
一つだけ物申すとすれば、中田裕二のMC。
2010年のラストツアー、中野サンプラザがバンドとしての最高潮だった。タイアップも『いばらのみち』『マテリアル』と立て続けに決まって。それでも、即完ではなく頑張って埋めた。今回の“椿屋四重奏ライブ”は即完。みんなどこにいたの? そんなに椿屋が好きなら声に出して、世間に発信してくれ。
半分ジョークなのはわかっている。
わかっているが、聞いた瞬間「は????? 右肩上がり上り調子、バンドとしてノってきたさなかに電撃事後解散かましたのはそっちやろがいっ!!!!!」と怒りが爆発した。おいおいおい、ふざけんな。当時もちゃんと「好き」って大きな声で言っていましたが!??!???
笑。
そういうとこだよ、そういうとこ。ほんと、こういうやつなんだよなー笑。あと一年続けていたら、変わっていたと思うよ。
自分たちには天井が高いハコが似合う。そう言って、いつも背伸びをしていたから埋めるのに苦労するんだ。見栄を張って、大口を叩いて、満たされないと常に飢えていた。届かない、掴めない、なんでだよチクショウ。溢れ出す焦燥感と飢餓感、認められない怒り。そういうところがロックで好きだった。
突然の解散事後報告は未だに傷として残っていて、たまに思い出して泣くことがある。どうして解散ライブをやってくれなかったのか。何故、前もって言ってくれなかったのか。
2010年12月31日 Zepp Sendai。「SENDAI SUNRISE」へ行かなかったことを今でも後悔している。大晦日じゃなければ行っていた。これが最後だと知っていれば、家族へ頼みこんで行かせてもらった。まぁ、そんなことはバンドにはなんら関係のないことで、行かなかった自分が悪いのだが。……でも、大晦日はあれだよ。厳しいよ。
代表がバンドの最高潮だと話したTOUR'10「BRIGHTEST DARKNESS」は本当に素晴らしく、未来への期待に満ちていた。代表がやりたかった音楽のかたちがはっきりと見えた。来年があると信じて疑わなかった。彼らが夢見た日本武道館へ手が届くのではないか。友達と笑って話していた時には、すでに解散が決まっていた。
ツアー初日、代表の目に滲むものを見て「珍しいな。そろそろこのハコ(このキャパ)は卒業だからかな」とか思っていた自分の能天気さに苦笑する。二度と椿屋四重奏として立つことはないと知っていたからだ。彼らだけが、知っていた。
バンドはよく休止するし、解散する。
だから慣れていたけれど、こんなにも前触れなく、予兆も何もないまま突然いなくなることは稀で、当時は本当にめちゃくちゃになった。大体「あー、やっぱりな」と察するところがあるものなのに、匂わせ一切なし。青天の霹靂。FCから届いたメールを何度も、何度も読み返した。何度読んでも同じことが書いてあった。昼休み。朝からあまりよくなかった体調が急激に悪化し、早退してそのまま高熱で数日寝こんだ。熱に浮かされてうんうん呻きながら「なんで解散したんだ」と泣いていたことだけ覚えている。つらかったな……(色んな意味で)
様々な”初めて”をくれた椿屋は、最後の最後まで自分の人生に消えないしるしを刻みつけた。湿っぽいツアーになるのは嫌だからと言われた時、信頼されていなかったのだとショックを受けた。彼らにとって、ファンとはそういう存在。「解散」の事実より「事後報告」であることが、当時の自分を打ちのめした。
バンド好きの友人ともよく話すが、可能な限り、のっぴきならない事情がない限りは基本的に解散ライブをしてほしい。葬式じゃないけれども「ありがとう」と「さようなら」を言える場は絶対に必要。ファンにも気持ちを整理して次へ進む為の儀式をさせてくれないか。自分たちだけスッキリするんじゃなくてさ。
どうせなら夢の武道館で胸を張って華々しく散れや。埋まらなくても埋めたよ。そういう思いで、何年もずっと応援していた人たちが、確かにいたよ。
おかげで立ち直るのに数ヶ月かかったし、本当の意味では払拭できていないので未だにふとした時に泣く羽目になる。本当、厄介なことをしてくれたものだ。
それでも、自分は椿屋四重奏を愛していたし、愛している。
ひと夏の幻をありがとう。
2023.08.27(日)椿屋四重奏二十周年記念公演 “真夏の宵の夢" (昭和女子大学 人見記念講堂 公演)
プロローグ
幻惑
LOVER
手つかずの世界
成れの果て
導火線
共犯
紫陽花
アンブレラ
シンデレラ
小春日和
不時着
踊り子
フィナーレ
マテリアル
ランブル
螺旋階段
いばらのみち
恋わずらい
空中分解
-EN-
群青
かたはらに
-W EN-
君無しじゃいられない
PS.
やっぱ天才だよ。音楽を続けてくれてありがとう。
ぐちぐち言ったけれど、どうすれば、どこからやり直せば解散せずに済んだのだろうと何回、何十回、何百回考えてシミュレーションしても必ず「解散」という答えに辿り着くから、避けられない結果だったと思っている。そういう運命だったんだよ。
わかっていても惜しい。口惜しい。
青く染まる武道館へ鳴り響く『群青』を聞きたかった。哀れな亡霊は消えない。
でも、ちゃんと前を見て進んでいるよ。昔も今も変わらぬ宝物。気が向いたら、また見せてよ。
ひとときの夢を、いつかまた。